わたしたちは、転びながらも、答えを見つけようと走りつづける。
そしていつか、走り疲れるときがくる。硬い地面に膝をつき、どこからも力が湧いてこないのを感じる。指一本も動かすことができない気がして、地面に横たわってしまう。そして、ゆっくりと、あきらめが近づいてくる。あきらめは外からやってこない。内側の奥底から、じわり、じわりとやってくる。胃の腑が冷え切って、とろりとした眠気と、世界にもやがかかるのを感じる。

だが、問いはわたしの影のように、そばにいる。そのときに気がつく。問いは、時に私たちを苦しめ、時にわたしをはげます存在であることに。

あきらめがわたしを喰い破りそうになるとき、問いがわたしを心配そうにのぞきこむ。わからないと投げ出したくなったり、早急に答えを決め込みたくなったりしたとき、まだわからない、まだわからないよ、と問いは言う。

そして問いは、年も所属も時代も超えて、見知らぬわたしたちをつなぎとめてもくれる。

永井玲衣

もう無理、とあきらめて放りだしたくなると読み返す。
そのたびに、すべての問題に最後なんてない、と涙で体中が熱くなる。
答えは出なくてもいい、そもそも答えはない。

問いつづけることは、信じつづけること。
弱いまま、何ももたないまま、「まだわからないよ」と問いは言う。
おなじ問いを、文学や絵画や音楽で遺してくれた人たちが、そばにいてくれる。

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*出典 永井玲衣『水中の哲学者たち』より