ことばの栞
私は、声を失うが、
私は、私以外の誰かが私を語ることを、全身全霊で拒絶する。
佐藤裕美
宍戸大裕監督「杳かなる」を観る(@K’s cinema)。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)当事者のことばを伝える映画。
*杳かなる公式サイト:https://harukanaru.com
ALSは、身体を動かす神経が障害される病気で、
進行に伴い、呼吸に必要な筋肉も働かなくなる神経難病だ。
ALSという病気は、呼吸器をつけて全身不随になって生きるか、呼吸器をつけずに生きることを諦めるかを、自分で決断しなければならない過酷な病気です。7割の患者が、呼吸器をつけずに亡くなっていきます。
岡部宏生『境を越えて Part.1 このまま死ねるか⁉』より
冒頭のことばは、
ALS当事者として「杳かなる」に出演する佐藤裕美さんの詩の一節。
映画でご本人が朗読されている。
(「証」全文:https://satohiromi.amebaownd.com/posts/11266493)
*
ALSは、筋肉を動かす運動神経の障害であり、
聴覚などの感覚や、意識や思考能力は保たれる。
眼球を動かす筋肉は侵されにくくかすかに目は動く。
けれど、表情もことばもなく、声かけにも反応しない。
寝たきりの(ように見える)人を前に、人は何を思うか。
──もうわかっていないだろう
──聴こえていないだろう
*
無表情のまま薄く開く目にじっと見つめられ、
怒ってるのかな…と不安になったことがある。
しかし、支援者が患者さんのことばを文字盤で読みとり、
声をかけて患者さんの口角がわずかに上がると、
笑った!と、わたしの中で境界線がとっぱらわれた。
なんて勝手なんだろう。
内面では笑ったり怒ったり反応していても、
筋肉が動かないから表情やことばで表せない。
<表出できない=わかっていない>
なぜ、そう繋げるのだろう。
コミュニケーションが難しい、ではなく、
わかっていない、まで飛躍してしまうのだろう。
自分が患者さんの立場だったとして、
わかっていない、と決めつけられたら?
意志を読みとる支援者がいるか・いないかで、
コミュニケーションが断たれるかどうかが決まる。
そんなことあっていいのか。
今のままではわたしは断つ側だ。
無表情な目にさらされ評価されているように感じ、
緊張を隠して笑顔で声掛けをしてみるが、
それで反応がなければ「仕方がない」
と安堵してベッドを離れる自分を想像できる。
一緒に笑い合えることは、永遠にわからない。
だから、コミュニケーションを諦めない在りかたを知りたい。
時間の経過とともに、運動機能障害になりにくい眼球運動をも制限されてしまうこともあります。人工呼吸器装着患者さんの約13%が完全閉じ込め症候群TLS(Totally Locked-in State)となってしまうという報告があります。一般的に、TLSと判断されてしまうとコミュニケーションが一方通行となってしまうケースが多いと思います。しかし、患者さん自身が「私はもう動けません」と言っているわけではないのです。TLSと判断するのは支援者のほうなのです。(中略)進行性難病患者さんとの関わりに対して、支援者は「諦めない」「決めつけない」の気持ちを決して忘れずに、関わり続けなければなりません。
山本直史「コミュニケーションを諦めない」(映画「杳かなる」パンフレット)より
2019年に京都で起きたALS患者嘱託殺人事件。
同時期、NHKでスイスで安楽死を選んだ女性の番組が放送された。
(NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』)
わたしはこの番組を観た。
事件も覚えている。
当時、わたしは想像した。
自分がこのALSの女性の立場だったら?
この事件に限らない。
病気や事故で自分のことを自分でできなくなり、
治る見込みもなく寝たきりになってしまったら?
家族と話したこともある。
──それなら、死んでしまったほうがマシかもしれない
──死なせてあげてよかったのかもしれない
相模原のやまゆり園で起きた事件で語られた、
「重度障害者には、生きる価値がない」
ということばに涙が出るほど憤りを覚えたのに。
死んでしまったほうが、なんて、
もちろん他者に向けた思いではないが、
自分だったら死んだほうが…という考えは、
死なせてあげてよかったんじゃないか、
と、わかったように語ることにつながる。
そのことばは、誰に何を突きつけるか?
*
誰かの尊厳を自分の価値基準で測らない。
ことばを届けられない人のことを、わたしのことばで語らない。
忘れないよう、ここに留めたい。
*
私とコミュニケーションをとるためには、ひたすら時間を要することに耐えなければなりません。忍耐が必要です。私が講演などでの5分の原稿をつくるためには、文字盤でちょうど三時間かかります。しかも、熟達した介助者が文字盤をとった場合です。
会議などでこれを許すと大変なことになるのですが、ある会議でこんなことがありました。私の話の最中にほかの意見や雑談を制して、「みんなで聞こう」という人がいたのです。このような会議の進行をする人に初めて出会いました。岡部宏生『境を越えてPart1 このまま死ねるか⁉』より
宍戸 岡部さんは文字盤でコミュニケーションをするんですけれども、すごいおしゃべりな人なので1つの文章が長いんですよ。そのあいだも高橋さんは、手持ちのカメラで撮ってくれていて。
高橋 30分以上のワンカットがいっぱいあるんですよ。(略)30分以上ずっと手持ちで撮るのね、けっこう痺れます。あと監督がカットって言わないんです!
宍戸 岡部さんは言葉を伝えることに本当に真っすぐな方なので、文字盤を取り終わるまでぜんぶ撮ってほしかったんです。「いのちの繋がりを撮る」佐藤裕美×高橋愼二(撮影)×宍戸大裕(監督)(映画「杳かなる」パンフレット)より
▽佐藤裕美さんのブログ
「書くこと。生きること。」
▽岡部宏生さんの著書
『境を越えてPart1 このまま死ねるか⁉』
*出典 佐藤裕美「証」(映画「杳かなる」)より