詩と科学遠いようで近い。
どうしてだろうか。出発点が同じだからだ。どちらも自然を見ること聞くことからはじまる。薔薇の花の香をかぎ、その美しさをたたえる気持と、花の形状をしらべようとする気持の間には、大きな隔たりはない。しかし、薔薇の詩をつくるのと顕微鏡を持ち出すのとではもう方向がちがっている。
詩というものは気まぐれなものである。ここにあるだろうと思って一しょうけんめいにさがしても詩が見つかるとは限らないのである。ごみごみした実験室の片隅で、科学者は時々思いがけなく詩を発見するのである。しろうと目にはちっとも面白くない数式の中に、専門家は目に見える花よりもずっとずっと美しい自然の姿をありありとみとめるのである。
湯川秀樹
芸術は「美しい」ということばと親しい。
一方で、数学者が数式を「美しい」という。
スポーツ選手のフォームを「美しい」という。
「美しい」という感性。
わたしたちはどこで覚えて、その感覚を共有しているのだろう。
学生の頃(文学部)、哲学と美学と宗教学をとっていた。
それらに通ずるなにかに惹かれ、それは何なのか知りたかった。
ぼんやり、「美」ということばは浮かんでいる。
*出典 湯川秀樹『詩と科学』より