兄しゃまがかたってくれたんは、はんぶんいじょう、そのばでおもいついた、口から出まかせのはなしじゃったのかもしれんけど、チカップはそのはなしにすがって、いまにいたるまでいきつづけてきました。

津島佑子

ジャッカ・ドフニとは、
ウィルタ語で「大切なものを収める家」。

物語の主人公は、津島佑子とかさなる「わたし」。
途中から、数年後の「わたし」が、
わたしに向かって「あなた」と語りかけるかたちで時間がゆらぐ。

はじまりは、2011年、東日本大震災の年。
北方少数民族資料館「ジャッカ・ドフニ」を亡き息子と訪れた記憶から遡る。

同時に、1600年代、アイヌの母と日本人の間に生まれた少女の物語が、
キリスト教の迫害を背景に進んでいく。

*

津島佑子が書いてきた、障害者、少数民族、性、差別などの主題、
虐げられている者への(当事としてでもある)まなざしが織り重なる。

叙事詩や神話のような壮大な物語でありながら、
彼女は決して現実から離れない。問題を露わにしていく。

*

人が生きていくうえで、
自分の物語が必要であること、
大切な人との記憶が支えになること、
自分を思いだしてくれることが救いになること、
失われた言葉を思いだすことが生きなおすことにつながること、
をおもう。

たとえ届かないとしても、
手紙で、歌で、語りかけると伝わるように信じられるのはなぜなのか。

兄しゃまのはなしが、すべて、げんじつの手ざわりをともなって、ハポの顏にせよ、声、からだにせよ、あい色の海に雪がたえまなくふりつづけるマツマエのふうけいにせよ、そしてアキタのおやかたにせよ、このチカップを、そしてレラとヤキ、ラムの三人の子の命をもささえてくれとるんや。

※北方少数民族資料館「ジャッカ・ドフニ」:創設者北川ゲンダース急逝後、2012年閉館
https://hoppohm.org/tokuten/tokuten_2017/F29_kikaku.pdf


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20代前半まで、ほとんど男性作家しか読まなかった。
女性作家の文体が合わなかった。

20代半ば、講談社文芸文庫から本を選んでいた時期があり、
本屋で背表紙を眺めているときに、『寵児』を見つけた。

裏表紙の文章とページを捲ったときの印象で迷わず買った。
家に帰り、一気に読んだ。強く、硬質な文章だった。

こんなふうに低音が響く女性作家がいたんだ…
初めて信頼する女性作家に出逢えた。

津島佑子がいたから、
その後、女性作家と出逢えるようになった。

少しして太宰治の娘だと知り、信じられない思いだった。
その事実を知らず、先入観なく読めたことが幸いだった。

こころから信頼する作家。

少数派、差別される者へのまなざしをもって、
文学作品としての、時間と物語の力を使って、
現実社会に毅然と問題を提示してくれる作家。

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*出典  津島佑子『ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語』