梅の花にほひをうつす袖の上に
軒もる月の影ぞあらそふ
藤原定家
訳:梅の花が匂いを移しているわたしの袖の上に、軒端を洩れてさし入る月の光が、梅の匂いと競い合うかのように映るよ
※袖に月の光が映るのは、袖が懐旧の涙に濡れているため
ふとしたとき、季節の歌や句をさがす。
ほんとうに自由だ。
ことばは、本来、こんなにも自由だ。
日常会話とおなじ単語が、意味を薄めて
まるでちがう時間と空間をつれてくる。
ことばは、なにを伝えるのだろう。
*
視覚障害の方とお話しする機会があった。
生まれたときから目の見えない方が
世界を想像するってどんな感じだろう。
どう、ことばとモノを紐づけるのだろう。
輪郭や質感だけではイメージが曖昧で、
似たモノばかりでわからなくなりそうだ。
いや、視覚に頼らないひとは、
別の感覚で識別しているのかもしれない。
ヘレン・ケラーの「water!」みたいに。
そもそも、
明確に識別する必要ってあるのだろうか。
*
…色ってわかりますか?
「りんごは赤、という理解はあるけど、
混ぜたら何色になるかはわからない」
…好きな色は?
「青が好き」
…(…!)なぜ青が好き?
「自由が好き。だから広い海が好き。
広がる空も青い。だから青が好き」
*
見たことがなくても、青を好きになれるんだ。
こんな驚きかたは、おかしい。
目で見て認識しないと、
好きかどうか判断できないはず、
と思いこんでいた証拠だ。
そうして、わたしは青を再発見する。
*
この会話で「青」ということばは、
いったいなにを指していたのだろう。
彼の「青」と、わたしの「青」は
おそらくまったく違うものだった。
でも、わたしは今までで一番「青」を感じた。
「青」を体験したような感覚だった。
*出典 久保田淳訳注『新古今和歌集 上』(角川ソフィア文庫)より