私は優という字を考えます。これは優れるという字で、優良可なんていうし、優勝なんていうけど、でも、もう一つ読み方があるでしょう?優しいとも読みます。そうして、この字をよく見ると、人偏に、憂うると書いています。人を憂える、ひとの寂しさわびしさ、つらさに敏感なこと、これが優しさであり、また人間としていちばん優れていることじゃないかしら─
太宰治
友人から、倫理の教科書の画像が届いた。
「やさしさについて」。太宰の書簡。
名前を漢字でどう書くか、伝えるときにいつも迷う。
“優秀”の、”優勝”の、”優れている”の、”優しい”の…
どれも偉そうで、むずがゆい。
ことばが沁みてこない谷間にあって、
ひとつ点を打って、進もう、と思えた。
*
わたしは恵まれている。
ほぼすべてが、透明な自動ドアだった。
叶わないことはあっても、
挑戦すらできない、ということはなかった。
やりたいのにできないことがあっただろうか。
むしろ、やりたいけれど…と躊躇しているとき、
向こうからドアがひらくことすら何度もあった。
“文学が最後の砦” と、
わたしなりの弱さを越えてきたように思うけれど、
文学が救い、と憚らず言えるのも
社会に良しと認められるものを救いにできるからで、
それ自体恵まれていると言えるのだろう。
*
多様性、とは。
マイノリティ、とは。
わたしは多くを外から見ている。
知りたくて知ろうとしても、
わかりたい範囲をはみだしていない。
情報をとるばかりだから、
ことば遊びに嵌まって袋小路に陥る。
カテゴライズして取りこぼして見誤る。
括られた理解の向こうには、
等しくひとり、ひとりがいる。
どこか現場に身をおいて、
頭でっかちの後ろめたさを感じる暇なく、
わからなさの実感をたよりに接続できたなら。
*
『父ではありませんが 第三者として考える』
をめくりながら、ゆったり思いはじめた。
第三者だからできることがある。
同時に、やはり当事者でもあり、
常に当事者になりうることにも、
眼をそむけないでいたい。
たいしたことない、と慣れたことばに、
傷ついた、と付箋する。
自動ドアだって傷むし。
*
自動ドアの特権があるなら、動こう。
わからないままで、その先に行ってみる。
多様性には多様性を否定する多様性の場所がなく、寛容は不寛容に対しては不寛容にならざるをえない。
*
物語の力は隘路でこそ発揮される。理念が行き詰り、論理が破綻するとき、思想や学問ならば、そこで立ち止まるしかないけれど、小説はその先に進むことができる。矛盾を抱えたままで、それでも生きようとする人間を描くことができるからだ。
東畑開人 (朝井リョウ『正欲』 新潮文庫)解説より
*出典 太宰治「河盛好蔵宛書簡」(『愛と苦悩の手紙』(角川文庫))より