すると私は、俄にほろりとして来て、涙が流れた。何という事もなく、ただ、今の自分が悲しくて堪らない。けれども私はつい思い出せそうな気がしながら、その悲しみの源を忘れている。
内田百閒
この曲好きだなと思うとき、
悲しい、と感じていることが多い。
そして、美しい、とも感じている。
*
本でも映画でも低音の響くものを探す。
表現するひとがそのまま転がっているとき、
わたしは安心して身をゆだねることができる。
フィクションでもノンフィクションでも、
その人がそこに「いる」と思えると、
いっしょにものを考えることができる。
感じたことや考えたことを日常に引きもどし、
自分をべつものとして省みることができる。
そうすることで初めて、
何もないと思っていたところに
ことばが与えられることがある。
*
だれも「悲」の感情を教わっていない。
けれど、感情をあらわすことばを共有している。
日常でとつぜん悲しみがわいてきて、
泣きたい気もちになるが、悲しみの所在は不明。
*
百閒は、夢のありようや空気感を
どうしてこう壊さずことばにできるのだろう。
こころもとなく、悲しく、不安。
その感情を「なつかしい」と思うのは、
いつかみた夢をおもいだすからだけではない。
*出典 内田百閒『冥途』より