私たちは聴覚障害がほかのすべての障害とはきわだってことなる扱いをうけてきたことを想起しなければならない。たとえば私たちは足のない人に「歩け」とはいわないし、目の見えない人に「見ろ」「見えるように努力しなさい」とはいわない。ところが耳の聞こえない人にだけは、聞きなさい、聞こえないままではいけない、しゃべりなさいといってきたのである。そういって、聴覚障害そのものを否定してきたのだった。
そのような無理難題がまかりとおったのは、いうまでもなくそこに「ことば」という問題があったからだ。
斉藤道雄
手話は世界共通だと思っていた。
日本手話と日本語対応手話があることを知らなかった。
単語に対応するジェスチャーのようなものだと思っていた。
*
─ 昨年のこと
ある対談イベントに手話通訳が入っていた。
そこではじめて手話にふれた(見たというより、感じた)。
登壇者(英語)、通訳(日本語)、手話通訳(英語)に
それぞれの聞き手が時間差で反応する。
3種の時間がおなじ空間にながれる。波のよう。
英語でうけとる人、日本語でうけとる人、手話でうけとる人。
耳で通訳を聞きながら、目と心は手話にうばわれた。
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─ 少しして
映画「コーダ あいのうた」のあるシーンに動かされる。
コーダ*である主人公は、歌っているときの気分を問われる。
「説明が難しい」と返すが、それでも説明を促され、
沈黙ののちに、手と指が動きだし、手話で語りはじめる。
*耳の聞こえない・聞こえにくい親のもとで育った子どものこと
手話の意味はわからずとも、心のうちを表していることはわかった。
まだことばになりきらない柔らかいものを汲みだそうとしている。
彼女にとって、内語をかたちにするための手がかりとなるのは手話で、
それは彼女の第一言語が手話であり、そのことばを生きているから?
とりこぼしばかりの音声言語とは異なる、
音でわけることをしない、空間的で身体的な、ゆたかなもの。
*
手話はことばなんだ。
*
手話について本を読んだり話を聞いたりするうちに、
いろいろなことがわからなくなった。
そもそも、障がいとは何なのか。
生まれつきろうの方は、何も不自由を感じていないようだ。
ただ、聴者の社会ではコミュニケーションがとれない、
手話を使っていたら社会に参加できない。
そのため、口話(読唇や発声)を取得させるために、
ろう学校のほとんどが子どもたちの教育から手話を排除し、
ときに体罰をもって手話を禁止してきた。
当事者ではない者、健常と言われる多数派が言う、
「よくしよう」「治そう」は何のため、誰のためなのか。
言語を奪うとは、どういうことなのか。
言語を獲得するとは、どういうことなのか。
自分のことばをつかうことは、生きることとおなじ。
ことばによって世界がとらえられて、文化がつくられる。
それを禁止して統合することはゆるされるのか。
多数派か少数派かなど、入る余地がないように思える。
*
聴者とろう者ではなく、ろう者グループ間でも、
日本手話・日本語対応手話のとらえ方が違い、
目指す方向が異なるという。
もちろん、先天性なのか(両親が聴者かろう者か)、
音声言語を獲得したあとの中途失聴なのか、
聴力の等級も一人ひとり異なる。
それぞれコミュニケーション方法を選べたらいい。
*
学びが足りず、わたしは何もわかっていない。
けれど、人権にかかわる問題をはらんでいること、
わたしにとって手話が魅力的な言語であることは事実。
知りたいし、考えていきたい。
*
以下、手話の転機となるような大きな決議など。
これから考えるために置く。
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▼世界ろう教育者会議
1880年 ミラノ会議:手話を禁止し口話法を奨励。
2010年 バンクーバー決議:ミラノ会議の全決議を否定。
世界ろう教育者会議の決議(ミラノ会議)(抜粋)
1 ろう者を社会に参加させ、彼らにより完全な言語知識を与えるためには、口話が手話にくらべ争う余地なく優位あることに鑑み、当会議はろう者の指導教育に際して口話法が手話法に優先されるべきことを宣言する。
2 手話と口話の同時使用は、口話と読唇および明晰な思考を阻害するという不利益をもたらすことを考慮し、当会議は純粋口話法が選択されるべきことを宣言する。世界ろう教育者会議の決議(バンクーバー決議)(抜粋)
ここにわれわれは、
・ろう教育において手話の使用を否定した世界ろう教育者会議の1880年ミラノ会議におけるすべての決議を否定し、
・ミラノ会議が有害な影響をもたらしたことを認め、これを心から遺憾とし、
・世界中のすべての国に対し、歴史を想起し、すべての言語とコミュニケーション形式を受け入れ尊重する教育を実施するよう呼びかける。
▼人権救済申し立て
2003年 ろう児とその親107名が日弁連に人権救済の申し立て
〃 全日本ろうあ連盟が人権救済の申し立てに反対表明
2005年 日弁連が国に対し、手話教育の充実を求めて意見書を公表
日本弁護士連合会に対する人権救済申立て (抜粋) 申立人:ろう児とその親107名
文部科学省は、ろう学校において日本手話による教育を受けることができないことによって、教育を受ける権利及び学習権(憲法26条)並びに平等権(憲法14条)を侵害されている申立人らを救済するため、日本手話をろう学校における教育使用言語として認知・承認し、ろう学校において日本手話による授業を行う。「人権救済申立」に対する全日本ろうあ連盟の見解 全日本ろうあ連盟
jfd.or.jp/yobo/2003/kenkai20031017.html手話教育の充実を求める意見書 (抜粋) 日本弁護士連合会
国は、手話が言語であることを認め、言語取得やコミュニケーションのバリアを取り除くために以下の施策を講じ、聴覚障害者が自ら選択する言語を用いて表現する権利を保障すべきである。
https://www.nichibenren.or.jp/document/opinion/year/2005/2005_26.html
▼ろう文化宣言
1995年 木村晴美らが「ろう文化宣言」を『現代思想』で発表
ろう者を、身体的・病理的視点ではなく、社会的・文化的視点からとらえ直すべきと宣べた。
ろう文化宣言(冒頭)
ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である。
▼障害者の権利に関する条約
2016年 「障害者の権利に関する条約」(障害者権利条約)が国連で採択され、「手話は言語である」と定義された。
障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)
第2条 定義 「言語」とは、音声言語及び手話その他の形態の非音声言語をいう。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/046/attach/1316189.htm
*出典『手話を生きる』より