私は、文学を好きである。その点は、よほどのものである。これを茶化しては、いけない。
太宰治
文字が体におちない。
本は読めても味わえない。
リズムもない、画も見えない。
そういうとき、
太宰を手にとって励まされる。
*
私は、映画が好きだ。
太宰の映画エッセイ「弱者の糧」も好きだ。
─ 私は、映画を、ばかにしているのかもしれない。芸術だとは思っていない。おしるこだと思っている。けれども人は、芸術よりも、おしるこに感謝したい時がある。そんな時は、ずいぶん多い ─
おしるこ。
いとおしいなあ、とおもう。
*
司馬遼太郎が日本文学のユーモアを語るなかで、太宰を評した。
ことばのプロの批評眼と言語化に脱帽と感謝。
─ 太宰の場合は、太宰のなかの別の知性人としての太宰が、泣き暮れている太宰をくすくす笑っている厚みがある ─
(アフター6ジャンクション「“ダザイって、めっちゃ笑えるな”!教科書に載らないほうの太宰治入門」より)
*
私も、文学を好きだ。
理屈はない。ただ好きだ。
ないと困る。最後の砦。
*出典 太宰治『懶惰の歌留多』より