おれはそれぎり永久に、中有の闇へ沈んでしまった。
芥川龍之介
“本当” や “嘘” はあるのか。
“嘘” があるなら、なぜつくのか。
事実がひとつあるとして、
まつわる物語に正誤があるのか。
*
多襄丸も、妻も、死霊自身も、
自分が男を刺したと述べる。
罪を逃れることよりも、
自らがもつ物語を守る。
刺したという者は在っても、
抜いたという者は登場しない。
*
─その時誰か忍び足に、おれの側へ来たものがある。誰か、─その誰かは見えない手に、そっと胸の小刀を抜いた。同時におれの口の中には、もう一度血潮が溢れて来る。おれはそれぎり永久に、中有の闇へ沈んでしまった。……─
(「巫女の口を借りたる死霊の物語」)
*出典 芥川龍之介『藪の中』より