──つまりはこの重さなんだな。──
梶井基次郎
関連性のないものがピタリとはまり、
腑に落ちることがある。
そういうときに何度、
──つまりはこの重さなんだな。──
と心でつぶやいて納得したか。
(文学部らしいヤマイだと思う。)
つまりは、って、なんだよ。
でも、つまりは、としか言えない。
梶井基次郎の言葉の強度。
言葉は言葉を超えられるかもしれない、
そう思わせてくれる。
*
散文なのに、詩のように濃密で、
低音が響く。けれど重たくない。
はじめからおわりまで絵が浮かび、
「私」がわたしの目の前で歩いたり立ち止まったりする。
「私」の心象変化を、わたしそのもののように感じる。
賢治の言葉を借りると、心象スケッチのよう。
すべてひとまとまりで『檸檬』になる。
切りとれないしあらすじもない。
*
── 一体私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰った紡錘形の恰好も ──
*出典 梶井基次郎『檸檬』より